Newsお知らせ
■【上映+哲学対話イベント開催のお知らせ】
2024/11/17(日) 、パフォーングア-ツ&マルチメディアア-ト空間 Murasaki Penguin Project Totsukaにて、
『Maelstromマエルストロム』(79分)上映+哲学対話イベントを開催します。
peatixのサイトでチケットを販売中です。上映する機会の少ない作品ですので、ぜひこの機会に。
詳細は【こちら】でご確認下さい。
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■ 2024/11/2(土)に開催される第14回前橋映画祭2024 plus で、『Maelstrom マエルストロム』が
上映されます。詳細は決定次第お知らせします。
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■ 2024/10/19 (土)に名古屋大学で開催される2024年度日本映像学会中部支部・第1回研究会にて、
王 馨怡(ワン・シンイー)(金沢21世紀美術館)さんが研究論文作成中の『Maelstromマエルストロム』が、
口頭発表されます。(2024/10/19)
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■ インディペンデントキュレーター/映画作家/アーティスト・渡辺真也先生の担当されるテンプル大学夏セメスターJapanese Art before and after World War IIのゲスト講師として、『Maelstrom マエルストロム』上映+講義。
(2024/7/4)
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■ DICE+にて、インタビュー記事が掲載されました。(2024/05/10)
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■ アップリンク吉祥寺/ アフタートーク回のお知らせ
5/10(金) 19:55~上映回 ゲスト:佐々木誠(映画監督)
5/11(土) 15:40~上映回 ゲスト:安齋肇(イラストレーター/アートディレクター/ソラミミスト)
5/12(日) 15:40~上映回 ゲスト:諏訪敦彦(映画監督)
5/15(水) 18:10~上映回 ゲスト:ヤリタミサコ(詩人)+きくちゆみこ(文筆・翻訳家)
5/18(土) 18:15〜上映回 ゲスト:オシダアヤ(ミュージシャン)ミニライブ
5/19(日) 18:40〜上映回 ゲスト:土屋豊(映画監督)+土屋トカチ(映画監督)
5/20(月) 18:00〜上映回 ゲスト:ヴィヴィアン佐藤(美術家/ドラァグクイーン)
5/22(水) 18:00〜上映回 ゲスト:夏目深雪(映画批評家/編集者)
5/23(木) 18:00〜上映回 ゲスト:ヤリタミサコ(詩人)【最終日】
※上映スケジュールなどの詳細は、こちらでご確認下さい(uplink公式サイト)
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■ Cinemarcheにて、インタビュー記事が掲載。(2024/05/06)
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■ 横浜商業高校にて、新2年生を対象に、映画『Maelstromマエルストロム』の学内上映を行いました。(2024/04/10)
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■ 2024/2/5発売の2023年第97回キネマ旬報ベスト・テン、文化映画部門5位選出。
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■2023/12/20発売のキネマ旬報1月号のp.177『公開の幕間に』の監督の制作への想いが書かれたコラムで、
監督:山岡のコラムが掲載される。
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■ 横浜シネマリンにて2023/12/2~8に先行上映。
また、横浜の芸術財団であるアーツコミッション・ヨコハマの後援により上映と同時期(12/2~10)に
高架下Site-Aギャラリーにて初個展「Artworks from the Documentary film "Maelstrom"」開催。
横浜シネマリン登壇ゲスト:
12/2(土)矢田部吉彦さん(前東京国際映画祭ディレクター)
12/3(日)早川千絵さん(映画監督/『PLAN75』)
12/4(月)深田晃司さん(映画監督/『淵に立つ』ほか)
12/5(火)高橋伸一さん(映画監督/『THE FOOLS愚か者たちの歌』)
12/6(水)伊勢真一さん(映画監督/『奈緒ちゃん』ほか)
12/7(木)諏訪敦彦さん(映画監督/『風の電話』『M/OTHER』ほか)
12/8(金)倉石信乃さん(明治大学教授・写真史)
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■ オーストリア・ウィーンで開催の日本映画祭・JAPANNUALにて上映。(2023/10/9)
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■ドイツ・フランクフルトで開催の日本映画祭・NIPPON CONNECTIONにて上映。(2023/6/9)
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■ ポルトガルのポルトで開催のthe PORT FEMME INTERNATIONAL FILM FESTIVAL 2023で上映。(2023/4/21)
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■ 東京ドキュメンタリー映画祭2022において、12/12・12/17に上映。
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■ 米国ピッツバーグ大学主催のJapan Documentary Film Award 2022において『Maelstrom』が受賞し、
表彰式に参加。(2022/9/30)
Commentsコメント
『Maelstrom』が観る者を圧倒するのは、監督の山岡瑞子が、自分にとって痛切極まりない、身を切られるような問題を真摯に描いているからにほかならない。 ただし山岡の場合、作家として何かテーマを探していて、そういう痛切な題材に巡り合ったというわけではない。それは突然、自身の身に降りかかった。脊髄損傷という大怪我をするという事故が。 そして山岡は、事故からかなりの年月が経ってから、自分が生きてきた激烈な時間、maelstrom(大渦巻き)を作品に昇華させることを選んだ。いや、選んだというよりは、そうせざるをえない強い内的衝動に駆られたのであろう。 その内容は徹底的に個人的、パーソナルである。しかしパーソナルな井戸をひたすら深く掘っていくと、しばしば普遍の水脈にたどり着くものだ。 『Maelstrom』では、それが起きている。
大きな渦にのみこまれた表現者が最も個人的なテーマに挑み、もがき苦しみながら撮りあげた唯一無二の映画。自分とは、人間とは、人生とは。ひたすら真摯に考え続ける表現者は、街に出て、人に会う。その姿に圧倒され、自分だったらどう生きるかと考えずにはいられない。
「私」にしか見えていない世界を「誰か」の世界にフィードバックすること。それが表現の持つ特別な力だと思っています。『Maelstrom』は、まさに山岡監督の見てきた景色、答えのない葛藤と向き合うその時間を丹念に捉え、私たちへと開放してくれました。
ドキュメンタリーにしか作りえない一瞬一瞬に目が離せませんでした。完成、おめでとうございます。
人はここまで自分と向き合えるものだろうか。膨大な内省の記録であり、問いかけと逡巡と諦観と希望が込められた、人生を振り返る旅。プライベートな日記が他者の心を動かす域に昇華されている様に、ただただ圧倒された。
ポジティブでいるようにと言われても、人は立ち直れない。映画「Maelstrom マエルストロム」の希望は、制御不能になった自分との親密な対話を続けることにある。喪失感、後悔、哀しみ、迷いといった難しい感情と向き合い、自分の未来と社会を少しづつ変化させていく。
好きだな・・・よくワカッテナイ自分自身を巡って まんま、放り投げるように綴った映画。日々を見つめ続けた創り手の眼差しが鏡となり、観ている一人ひとりをも写し出す。生きるとは「Maelstrom(大渦巻き)」・・・悪くない。
ひとりのアーティストが、社会への異和や事故による「大渦巻」に翻弄される過程を静かに語り、事故以前の自分へ再帰は、芸術表現と創造であると確信してゆく。生の道筋は、枝分かれしているのではなく、渦のように流動し重なり合う。「私の想い出話」を超えた、勁さと美しさに満ちた映像。
ニューヨークで事故に遭い障害を負った女性が、大混乱の渦中で悶え、足掻き、懊悩の果てにたどり着いたのは、己の全てをさらけ出す映画を作ることだった。絶望の果てからの生還を記録した本作は、表現を志す多くの者を静かに鼓舞するだろう。
見る前は少し心配していた。あまりに伝えたいことが多く、その重量も熱量も半端じゃないから。でも杞憂だった。拍子抜けするくらいに素直に、淡々と語られていた。これなら安心して薦められる。今度はもっと暴れてもいい。
映像が網膜に差し込んでくる、混乱と不安の中にある希望と未来。山岡監督本人によるナレーションの、やわらかな声が心地よく、レム睡眠の夢のように記憶の中に溶け込んでくる。アートの可能性と彼女の生き様で綴った超真実。
生きることは何かを表現すること、表現するためには生きること。山岡瑞子監督自身に起こったマエルストロム=大混乱を、自らが撮った映像とモノローグで綴った本作を見て、そんんなことを思った。傑作。
「Maelstrom」は、大混乱という意味。「中途障害者」となった監督自身の体感の連続は、渦のように観客を引きずり込む。命懸けの本作は「感動作」として消費されることを拒絶する。命が再び輝きはじめるまでの自問自答は、芸術へと昇華した。美しいと思った。
本作は、車椅子生活を送りながら自立を決意した女性の可能性を、美しくコラージュした実話映画。自由が制限されがちな日本社会で、壊滅的な喪失感を乗り越え、創造を通して自己価値を再発見する、人間味あふれる物語である。
20年の歳月を経て、山岡瑞子監督は再び芸術の世界に戻ってきた。『Maelstrom』は個人の記録映画でありながら、痛みを超えて生きることの意味を、私たち一人一人に強く問いかけてくる。混乱を極めた現代、人間として存在することの価値に気づかせてくれる作品。応援しています。
どんなに大きな渦に巻き込まれ、どんなに酷い大混乱に陥ろうとも、生きることは美しい。そんな後味を残してくれる、独創的な作品です。
人生、マエルストロムだけど、たぶん大丈夫。俺も、ちゃんと、美しく生きたい。
生きるということは、常に混乱することだ。
山岡さんの人生を追体験しながら、自分の人生を振り返り、そのことを改めて突きつけられた。
矛盾を抱え、不自由と自由の狭間で我々は生きている。
山岡さんと初めてお会いした時、私の作品と私に対しての怒りをストレートに伝えてくれた。
本気で観ていただいたことがわかった。
私も本気で作っていたので、なんだか嬉しかった。
そのクリエイティブなものへの愛憎、そして家族への愛憎を、一人の女性、一人のアーティストの生き様という視点で描かれた本作は、複雑かつ多様な要素を持ちながら、巧みな構成で軸がぶれず、最後まで観るものを圧倒する唯一無二の傑作だった。
山岡さんの次回作が今から楽しみだ。
人生にはIFはない。彼女が不運にも事故に遭ってしまったことには、なんの必然も美談もなく、その厳しすぎる現実を前に、彼女は決して納得もせず、何度も後悔しながら、自己と記憶にメスを入れ続ける。そこに炙り出されるのは、山岡さんが自らを顧みることで浮かび上がる家族であり、日本社会であり、時代でもあった。彼女と完全に同世代の私は、彼女の繊細な強靭さに圧倒された。フランクフルトの暑く息苦しい映画館で上映が終わった後、わたしはしばし立ち上がることができないほどの衝撃を受けていた。人生にIFはない。そのことを受け入れるのではなく、そのことと共にただ生きねばならないことを生きている人にしかできない凄まじい表現がそこにあった。
女であること、車椅子使用者であることの奥に、存在することの痛みが一人称で語られる。見る側は、語られていない部分の重さを共有し、もう一人の自分を見出す。自分はどのように成り立っているのか、自分自身であることをまっすぐに続けるのはどうして困難なのか、世界と自分はどうして違和なのか、問い続けることの勇気がそこにある。
「娘」という役割からの解放と、夢を求めて漕いだ舟が、再び元の場所へとたどり着いてしまった、誰も予期しない現実。嵐の渦から抜け出すために山岡さんが行ったのは、ひたすらに「私」を見つめ、映画という媒体で自分をひらいていくことだった。パーソナルだったものは、社会へ、そして観客の記憶へと接続していく。
私は山岡さんの漕ぐ舟に揺られながら、自分の人生や、母との関係をふりかえって、涙が出た。そして、「自立とはなんだろう」と、自分自身に問いかけた。
今自分が当たり前だと思っている現実は、やがては消えてしまうかも知れない。
そんな世界に誰もが生きている。
本作は山岡監督個人の物語だが、そんな普遍的な広がりを持ち得ている。
本作の完成までにどれだけの渦に巻き込まれ、混乱にさらされたことだろう。淡々と語られるモノローグに挟み込まれた肉声が、それを物語る。そのどちらも、山岡監督が向かい合ってきた/いるリアルに他ならない。
混乱と絶望にあっても、氏は一度たりと未来への希求を止めない。
「脚が動かせなくなっただけのことで、なにもかもできなくなっていいわけがない」
そのシンプルな一念が、人と社会とのつながりを、自分自身と表現者であることを、氏に取り戻させる。
氏が手放したもの、手放したことで氏が見いだしたもの。大渦のあいまにたゆたう水面の煌めきと選び抜かれたモノローグの言葉を胸に、わたしはわたしのリスタートに向かう。何度も。何度でも。
「こんなはずじゃなかったのにーー」
声にならない叫び、回し続けたカメラに映るむきだしの世界に、何度も胸が痛かった。
ままならない人生、激動の渦。それでも自分を受け止めてくれた波止場があったことに気づいたとき、監督は自ら船をつくりはじめた。失われたものを拾いあつめ、ふたたび未来へと運ぶために。
人がひとり生きることのすさまじさ! 静かなモノローグに耳を傾け、いつの間にかわたしもその船の上、どこまでもまっすぐな「わたし」の記憶に揺さぶられっぱなしでした。
逡巡の末、様々な足枷に抗って、山岡さんはなりたい自分になれる場所に踏み出します。
他者から与えられる「娘」や「障害者」という枠の中ではなく、自ら選び取った道の上で生きること。それは、いつでも、どんな境遇にあっても、望んでいいし、叶えていい。
ケアする/される立場にある私は、そうした光景から、自身の力が湧くのを感じました。
過去の自分に再接続されたと山岡さんは言うけれど、再び繋がるまでの時間の中で、幾度もの始まりと終わりを超えて、彼女が取り結ぶ人々との関係性は大きく組み替えられています。自立して生きるということは、誰の手も借りず一人で立つことを意味するのではなく、誰かとのつながりを結び続けることなのではないでしょうか。
人は誰でも孤独な惑星だ。自転し公転していく。。自身に向けられた冷徹なコンセプチュアルなカメラは、まるで他人の半生を正確に映し散ってコピーしていくようだ。 NYの学生時代に山岡監督の制作した作品のように、折り重なった裏返しのフレームで切り取られた世界こそ反転された「作品」だ。
世界をどう切り取り、補助線を引き、直視するか。
これは山岡監督の人生でもあり、我々の物語でもある。